フェニックス通りと7月10日。

中央環状線上、南海本線堺駅付近から東へ約1.5キロにわたって続く、不思議な光景。

堺の人なら思ったことあるかな、「なんでここにヤシの木があるん?」と。

大きな通りの分離帯にずらーっと並ぶヤシの木は、なんや南の国にやって来たかのよう。

なんでまた堺に、ヤシの木を?…でもこれ、ちゃんと意味がありました。

このヤシの木、実は「フェニックスの木」って言うんやて。

だから、地元の人はこの道をフェニックス通りって呼んでるんやけど…どうやらこの「フェニックス」にヒントがありそうです。



74年前の7月10日、堺の街に大きな空襲があったらしい。

特にここら辺、今の堺駅のあたりは、焼けてなんにも無くなってしもたらしい。

でも、実は、堺の街が焼けてしまうのは、これが初めてじゃなかったんです。

それはもっともっと昔の話になるけど、あの、大阪夏の陣の時も、堺の街は焼けてしまった。

それでもなんとか復興して、また堺の街に活気が戻った。

それやのに、また焼けてしまった。

意気消沈していた堺の人々を元気づけるために、寄付を募って植えたのが、このフェニックスの木々やったって。

フェニックス(=不死鳥)のように、今回も、また立ち上がるんや、という気持ちを込めて。




フェニックスの木がこれからもずっとこの場所にありつづけますように。




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